小学6年の最期の方はなんとなく・・・毎日通ったのだと思う。
#無視や#悪口#仲間外れなどは日常だったが、それはもう慣れた。
同級生が関わって来ないこと。暴力による#虐めがないことで通い切ったと思う。
そして卒業! 小学校の教師連中も両親も・・・皆私は#登校拒否を克服した!・・・と思ったに違いない。
しかし・・・私は不安だった・・・。 また新しい3年間が始まるのだ!
▽ 私が中学へ進学する以前。当時は#校内暴力・・・なるモノが社会問題となっていた!
私が進学する中学にもまだその名残があった!
そして問題は教師の強い引き締めで#校内暴力・・・なるモノは根絶されていったが、次は陰湿な#虐め・・・が社会問題になっていた。
私が小学校で#登校拒否児・・・であったことは中学の担任教師と校長に伝達されていた。
しかし「誰に」「どの様な」#虐めを受けていたのかは報告されていなかった様だし、中学では教科ごとに教師が代わる。
私が#場面緘黙症・・・であることは他の科目教師には知らされておらず、教師からの質問に答えられないでいると他の生徒が「その子喋らないよ!」
教師「喋れない?喋れない生徒がこの学校へ来るのか?」
・・・後に担任から事情を聞いた様で他科目教師達も私を「腫れ物に触る」・・・様な態度になった。
この頃はまだ「梅ヶ丘病院」へ通っており、薬の副作用で眠気で寝てしまうこともあった!
正確に言えば私は授業中に眠れる様な「太い性格」・・・ではない!
意識が飛んでいたのだと思う。
成績も悪く。他の生徒への影響も考えて「授業中は寝るな!話しだけでも聞く努力をしろ!」・・・と言われる!
実際。他の生徒から「あいつはひいきされている!」「調子に乗っている!」
・・・と言う苦情?・・・が担任にあった様だ。
病院に相談して薬を変えて貰うなどしたが、厳しい教師がいたり、上下関係が厳しかったりと中学校生活は#緊張・・・の毎日だった。
薬のお陰で登校出来ていたと思うのだが?・・・一学期の後半頃から勉強も分からず・・・
ただただ緊張しに学校へ行くことに嫌気が差して来る!
そしてまた#登校拒否!
「虐めもないのに登校しないのはどう言うことか?」
実際は「悪口」「仲間外れ」・・・等小学生時代に比べれば酷くはないものの#虐め・・・に該当する事案はあった!
そして決して「仲が良い」とは言えない同級生と毎日気を遣って一日机に座って授業を受けなくてはならないのだ!
勿論!私に散々#暴力を振るっていた同級生もいる!
#ストレス!
担任教師は言った!「お前が登校しなければ両親は逮捕されるんだぞ!」「進級も卒業もさせない!中学中退になりたいのか!」
ここでも私は悪者!犯罪者扱いだ!
教師「親は自分の責任だから仕方ないな!・・・でもな!弟はどうするんだ!自分のことばかり考えているんじゃないぞ!」・・・#恫喝だ!
暫くすると校長から電話が来る! #精神科と並行して#児童相談所へ通う様に指導があった。
#児童相談所の判断で#精神科への通院は中止になる。 そして私の中学生生活は#児童相談所を中心に過ぎて行くことになる。
続く・・・。